リーダーシップはリーダーそのひとのなかに存在するというよりは、リーダーとフォロワーの間に漂うなにものかなのだ。
(金井壽宏、『リーダーシップ入門』、日本経済新聞社、2005年3月18日発行、62ページ)
教会のリーダーは主イエスさまです。牧師も主イエスさまのリーダーシップのもとでフォロアーとして存在しています。また信徒一人ひとりも主イエスさまのリーダーシップのもとにフォロアーとして存在しています。牧師と信徒は主イエスさまのリーダーシップのものでお互いフォロアーとして存在しています。よい交わりのなかで互いに励まし合い主イエスさまにお仕えします。
このことを十二分に理解しつつあえて教会におけるリーダーとしての牧師、フォロアーとしての信徒を考えてみましょう。
教会が主の花嫁として整えられて、ゆだねられた福音宣教のために力強く労するために、牧師のリーダーシップはかかせません。リーダーシップのある牧師というと色々と想像しますが、上記の言葉のようにリーダーシップはリーダーとフォロワーの間に漂うなにものか、と考えると、この人にならついて行こうと思わせるなにかが「間」に「ある」あるいは「生まれている」ということでしょう。その何かを生み出すことがリーダーの大切な役割といえます。
自らの牧会を顧みてそのような何かが生まれているかどうか、あるいは生み出そうと祈り求めているかどうか。今一度考えてみたいと思いました。