三つ目は charizomai 。「恩恵を与える」あるいは「情けを与える」という意味である。つまずきを与えた状況や相手の背後にある物語を考えるということである。どうして彼らがそのような行動をとったか想像してみることだ。そうすることで彼らを自分に悪意をもった敵としてではなく、罪に苦しむ同じ人間として見て情けをもつことができるようになる。
牧会ジャーナル、50号、2011年3月1日発行、27ページ
赦しへの階段の三段目は「恩恵を与える」。相手の行動の背後にある物語を考える、想像するということですね。怒りに燃えているときはそういう考え、想像をすることがなかなか難しいのですが、ちょっと冷静になって、心静めて考えてみるということでしょうか。私を傷つけるこのような言葉を語ったのには、私とは関係のないこのような背景があったのだと考えるということでしょうか。あのような言動は仕方がなかったのだ、と考えるということでしょうか。
私と同じ罪に苦しむ同じ人間なんだ、と思うことができるのはなんと素晴らしいことでしょうか。