交わりの限度
人はそれぞれ重荷を負って生きています。そして重荷は自分で負うよりほかありません。いささかの助けを他に期待し得るとしても、代わってもらうわけにはゆきません。それが人間の事実です。ですから、重荷を取り除いてあげるよりは、その人がしっかり重荷を負い切るよう助けてあげましょう。その意味で、その人をその人としてつき放すのが、人間の事実に適った親切というものです。人間の交わりはそういうつき放しをお互いかわしながらそれぞれに重荷を負うてゆく、いわば戦友同志の交わり以上であるべきではありません。
藤木正三、『灰色の断想』、165ページ
教会では交わりが鍵であるといっても過言ではありません。交わりが良好であると問題になるようなことも問題にならないし、逆に交わりが良好でないならば、問題にならないようなことでも大きな問題になったりするのではないかと思います。
ではどのような交わりが教会の交わりなのか。あるいは教会の交わりとしてふさわしいのか。この藤木先生の言葉は一つの指針を示してくれているのではないかと思います。戦友同志の交わり以上であるべきではない、ということですが、交わりで問題が起こるときは、交わりが希薄であるということよりも、戦友以上の交わりになってしまっていることから起こっているのではないかと思いました。重荷を取り除いてあげることがその人のためと思って一所懸命お世話をするのですが、それがかえって問題となるのです。真実の愛はその人がしっかりと重荷を負い切ることができるように突き放してあげることなのです。
真実の愛に生きる者でありたいと思いました。