敬愛するご高齢の信徒の方が召天されました。数年間の自宅での闘病ののち、家族に見守られての天国への凱旋でした。優しさと力強さに満ちた天国への凱旋でした。
その知らせは教会での夜の礼拝の始まりにありました。夕拝ののち家内とともにご自宅に駆けつけました。安らかな、眠るようなお顔にこみ上げるものがありました。この日は短く祈り失礼しました。
翌日、葬儀屋さんが来られたとの連絡をいただきお訪ねしました。打ち合わせを済ませていったん帰宅。
夕刻に納棺式のためにお訪ねしました。賛美とみ言葉と祈りの時をもち、ご遺体は葬儀屋さんによって納棺されました。闘病さえていたベッドを外に出してそのところに棺が置かれました。いったん失礼して、前夜式のプログラムを作成し、7時前にお訪ねしました。
前夜式は25名前後の参加者で、賛美と祈りみ言葉の時をもちました。思い出を娘さんがお話しくださいました。愛と慰めに満ちたお話でした。私は詩篇23篇を読み短く聖書のお話をしました。古代イスラエルの王ダビデは、私には乏しいことがないと言いましたが、それは王として権力や財力に満ちていたから乏しくないといったのではなく、主が私の羊飼いなので乏しいことがないと言いました。召天された兄弟も、まさに豊かな方でありましたが、それは主が羊飼いであったからこそ豊かであったのだと思います。近衛兵として生きられた時代がありましたが、クリスチャンになってからは主イエスさまの近衛兵として生きられました。あるとき、シンガポールから学生たちが伝道のためにやってきました。小さな学び会中でしたが、この兄弟が突然土下座をして涙ながらに謝罪されたのです。近衛兵も宣教が厳しくなると外地に食糧補給が主だったようですが出兵しました。この方もシンガポール、などに赴任されたようです。日本軍の過ちを心から謝罪されたのです。本当に優しさと強さをもった方だなあとその時思いました。あるときは戦争中部下だったという方が訪ねてこられました。本当によくしてくださったと遠路訪ねてこられ喜びを語って下さいました。先の謝罪は決してこの故人が直接的に何か罪を犯したというのではなく、本当に日本軍の過ちを我が罪として謝罪されたようです。50歳で洗礼を受けられたのですが、凛として、生きられた素晴らしいっ人生だったと思います。まさに乏しいことのない人生だったと思います。8時過ぎに失礼しました。
翌日は、午前10時過ぎに自宅から教会に棺が運ばれました。葬儀に向けて花で飾られ教会堂は葬儀の準備が整えられました。外にはテントが張られました。奏楽の姉妹や準備の姉妹も駆けつけてくださいました。
午後2時から葬儀が始まりました。50名ほどの方が集まられました。賛美と祈り、み言葉と葬儀は進みます。思い出に前任の牧師先生がお話しくださいました。また娘さんも昨夜に続いてお話しください重ねて新聖歌203番「ああイエス君こよなき友よ」を賛美されました。葬儀の御言葉は故人の愛称聖句でイザヤ書46章3-4節。故人は本当に教会のためにいろいろと積極的にご奉仕されました。まさに教会を運んでいてくださるといってもよいような方でしたが、その故人が愛唱されたのが「神さまに背負われ運ばれている」という聖句でした。誰よりも神さまに背負われ運ばれていることを知っておられた方だったのだと改めて思いました。息子さんの遺族代表挨拶にも本当に心が熱くされました。
3時を過ぎて出棺。見送る皆さんの賛美に送り出されて火葬場に向かいました。火葬前式と最後のお別れをし棺を見送りました。家族の皆さんとしばらくの時を過ごし、かかりの方の合図で集骨に行き、再び賛美と祈りをしみ言葉を読みました。集骨ののち帰路につきました。さみしさは尽きませんが、 天国がまた身近になったような気がします。