人はふたりの主人に仕えることはできない

トム・クランシー、スティーヴ・ピチュニック、『叛逆指令』、伏見威蕃訳、新潮文庫、2008年8月1日発行。

マキャスキーが帰ると、ロジャーズは電話をかけにいった。オー事務所の電話は使わず、公衆電話からかけるつもりだった。記録を残したくない。もはや、”祖国なき男”どころではなかった。正道をはずれた使徒になったような気がする。
“人はふたりの主に兼事(つか)うること能(あた)わず”というマタイ福音書の言葉で、自分をいましめようとした。だが、事実はそうなっている。なによりも忠誠を重んじている自分が、もとのチームメイトを助けるために、未来の同僚をスパイしようとしている。さいわい、聖書の箴言には、こういった板ばさみのための言葉がある。”義者(ただしきもの)は艱難(なやみ)より救われ、悪者(あしきもの)はこれに代わる。”
ロジャーズは、その言葉を信じることにした。そのほうがたやすい。
ほかにどうしようもない。

69ページf

板挟みになったマイク・ロジャーズの言葉です。この人物は聖書の言葉をよく引用しますが、聖書の言葉を米国の人はどのように読んでいるのかということを毎回少し想像させられます。

以下は今回も大活躍のマキャスキーの言葉です。ブット長官とのやり取りの中の一言ですが、大変心に留まりました。

「答えはありますよ。正当化する理由をわざわざ考えなければならないようなときには、そのことはまちがっているんです」

86ページ

わざわざ正当化する理由を考えなければならないとき・・・。思い返せばいくつかあったような気がします。主の前にまっすぐに歩むものでありたいと思いました。

オプ・センターシリーズは文庫本で毎年夏に発行されるようです。順番通りではなかったのですが翻訳された既刊は読み終えました。訳者の伏見威蕃さんの丁寧な訳語にもひきつけられています。引き続き楽しみにしています。


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