1622年12月28日、これがフランソワの地上の生涯の最後の日となった。長期にわたってフランソワの聴罪司祭であったフリエがこう勧めてくれた。「神に、こう祈られたらよいのではないでしょうか。『あなたの民のために私がなお必要であるならば、私は仕事をここで辞めるわけにはいかないのです!』と」。
司祭[フランソワ]はこう答えた。
「私が必要ですって。・・・いいえ、とんでもないことです。私は役に立たない、ほんとうに役に立たないしもべでしかありません」。そして、あなたはまだ仕事を完成していないではありませんか、と問われると、ゆったりとこう答えた。
“Deus perficiet,perficiet,perficiet.”
つまり、「完成してくださるのは神」、私のしていることは断片でしかありません、と答えたのである。
C・メラー、魂への配慮の歴史、第7巻、134ページ
フランソワ・ド・サル(1567年~1622年)の言葉です。フランス南東部サヴォア地方にあったサル城にて生まれたそうです。それでフランソワ・ド・サルなのですね。
奉仕者は常に自分の職務が断片であり、完成してくださるのは神さまであることをわきまえ知っていなければなりません。断片に心をこめて取り組むことができることは信仰のなせるわざでしょう。神さまからとどまれと言われればとどまり、去れと言われれば去るものでありたいと思います。