加賀乙彦、『高山右近』

講談社、1999年09月20日、小説

わたしは現在、滋賀県の大津の坂本にて伝道している。小さいながら教会に遣わされ毎週40人以上の方々が礼拝に来られる。この地に遣わされている意味を発見したような気がした。400年以上前にこの地において信仰の先輩がキリスト教信仰のために辱めを受けたこと。一粒の麦の死によって結ばれた「実」の一つをみさせていただいているのだろう。感謝。

「どうなるであろうか」と宇喜多久閑がつぶやいた。「これでわれらキリシタンも離散し根絶やしにされるであろうか」
「押し込められるか追放されるか殺されるか、幕府の方針は間だ見極められませんが」と右近が言った。「どのような結果になろうとも、われらがこの地に蒔いた種は生き残るでしょう。すぐ将来でなくとも、たとえば何百年あとであろうとも、種はやがて芽を吹き豊かな実りをもたらすでしょう」
「何百年あと……」と好次が気をそがれたようなため息をついた。
「われらを襲った災いを耐えることで実りは大きくなるのです」と右近は好次を励ますように頷いた。
「そうです」とパードレ・クレメンテが言った。「一粒の麦が死ねば多くの実をむすぶ。ただし実をむすぶのは、いつか知らない、ずっとあとなのです」
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白装束の捕らわれ人、右近たちが大勢の護送兵に囲まれて坂本に入ったのは、翌日の昼近く、すでに宿場町は大勢の人出で賑わっており、「キリシタンじゃ」「邪宗の徒じゃ」とどよめく野次馬の環視のさなか、町中を引き回されることになった。この宿場に多い比叡山の僧侶には、邪教にあからさまな嘲罵を投げつける者も多く、幼い孫たちはおびえて身を縮め、それをジュスタやルチアは励まし、忽兵衛と弥次郎は憤慨して何かしきりに口走っていたが、覚悟を決めていた右近は如安と並んで歩きながら、かえって心静かになり、以前しばしば訪れたことのある町とて、むしろ懐かしく興深く、宿場町の様相に目を配っていた。
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