• わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします

    静まりの時

    • テーマ:聖霊を待ち望む
    • 聖書箇所:ヨハネ15・5~15
    • 日付:2026年05月18日(月)

    7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。
    8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。

    主イエスさまは十字架にかかる前に弟子たちに向かって、自分はまもなく去って行く、と語られました。それを聞いた弟子たちは悲しみました。しかし主は、自分が去って行くことは、あなたがたにとって益となるのだ、と言われました。

    なぜ主が去って行かれることが弟子たちの益となるのか。主が去って行かれることによって聖霊が遣わされる。それが理由でした。

    その遣わされた聖霊が、罪について、義について、さばきについて、教えてくださる。どのように教えてくださるのか。世の誤りを明らかにしてくださる。世は、罪、義、さばきについて全く知識がないわけではない。すでに知識がある。しかしその知識には誤りがある。この世は、誤った罪の理解、誤った義の理解、誤ったさばきの理解をもってしまっている。それらを正してくださる。聖霊はそのような御業を為してくださる、と主は言われました。

    それにしても、復活のイエスさまがこの地上に居続けて下さって私たちに教えて下さってもよいように思いますが、どうしてその主イエスさまが去らなければならないのか。どうして聖霊が遣わされなければならないのか。

    子なる神であるイエスさまは、この世界の初めから終わりまで存在しておられるまこの神さまなのですが、とくに子なる神としておられる意味は、まことの神でありながらまことの人である、ということです。まことの人となられたということは、限界をお持ちになっておられるということです。無限のお方が限界の中に身をしずめてくださった、まことの謙遜の中に身を置いてくださったのです。その限界の一つに、地域性があります。つまりパレスチナという土地の限界をお持ちになってくださった神である。よって現代の極東に生きる私の、罪、義、さばきの理解を正すことができないのです。もしできたとすれば、子なる神でなくなってしまわれることであり、まことの神でありまことの人である、ということから逸脱してしまう。イエスさまがいつまでも地上におられる限りに、私たちの救いは実現しない。

    しかし聖霊が来られると、その道が開かれます。

    主は、聖霊のことを「助け主」と呼ばれました。原文では、側にいる、という意味です。私のそばにいて、罪、義、さばきを正しく理解できるように助けてくださる。ですから私たちは、このお方によって、罪、義、さばきを正しく理解できるようになる。それは私にとって、とても大きな益です。

    主イエスさまが、今この時は、父なる神さまの右に座して私たちをとりなしていてくださいます。信仰の心は、神さまは私の心のうちにいてくださる、イエスさまは私とともにいてくださる、と告白します。しかし父なる神さまも、子なる神であるイエスさまも天におられるのですから、それらの告白は、実際には聖霊がともにいてくださるということです。

    聖書の信仰に立って神さまを信じることは、三位一体の神さまを信じるということです。