,

コンスタンティーヌス帝時代の終焉か

〔ドイツ民主共和国〔旧東ドイツ〕のある牧師への書簡から〕

2015年6月23日(火)

神は私たちに、注意深くいさえすれば、目下のところ確実にはまだ予感できないこのような新しい道を示してくださるだろうことを、そして神に結ばれた者としてこの点でも、今やたしかに神によって無敵に確保されたものと自分たちを見なしてよいと、安らかに頼ることが許されています。
・・・
すでに始まっているかもしれないキリスト教会の新しい道を「神が(大真面目にいって特別に)愛されている東地区」として、模範的に生きて見せることとが、あなた方の特別な使命となりうることではないでしょうか。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、361f。

自分たちは神さまに特別に愛されている存在である、と模範的に生きて見せること。それが使命となる、といいます。
自分が神さまにお頼りするという生きかたが、この世にあって、この世の模範となる。それが使命、生きる目的となる、というのです。

使命。命を使うと書きますが、神さまへの信仰に生きる、ということ、それがこの使命である、という生き方。そこに人生と確かに歩む秘訣があるということでしょう。

(祈り)
神さま、今日もあなたにお頼りします。信仰をもって歩ませてください。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: