礼拝説教から 2018年3月4日

2018年3月4日
マルコの福音書9章38-41節
反対しない者は味方です
 ヨハネがイエスに言った。「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです。」しかし、イエスは言われた。「やめさせてはいけません。わたしの名を唱えて力あるわざを行い、そのすぐ後に、わたしを悪く言える人はいません。わたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方です。」(マルコの福音書9章38-40節)
 イエス様は「わたしたち」という言い方をされました。これはヨハネが「私たち」と言ったことを受けてのことになります。
 ヨハネは、イエス様の名前によって悪霊を追い出している人について、「私たちについて来なかった」という言い方をしています。このヨハネの言う「私たち」というのは、誰のことでしょうか。それはもちろん、イエス様に従っている「私たち」ということになるでしょう。イエス様から弟子として招かれて、すべてを捨てて、イエス様に従っている「私たち」です。ヨハネはその「私たち」について来ない人が、イエス様の名前によって悪霊を追い出しているのを止めさせようとしたのです。ヨハネは、イエス様の名前によって悪霊を追い出している人を、「私たち」について来なかったという理由で批判しているのです。
 しかし、そのヨハネに対して、イエス様もまた、「わたしたち」という言い方をされています。
 イエス様は「わたしを悪く言える人はいない」と言われた後、「わたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方」だと言われました。
 どうでしょうか。「わたしを悪く言える人はいない」と言ったならば、その後には、「わたしに反対しない人」、「わたしの味方」と続く方が自然なのではないでしょうか。「わたしたち」ではなくて、「わたし」です。
 しかし、イエス様は「わたし」ではなくて、「わたしたち」という言い方をされました。ただ単に、「わたしに反対しない人」、「わたしの味方」と言われたのではなく、「わたしたちに反対しない人」、「わたしたちの味方」と言われたのです。ご自分の名前によって悪霊を追い出している人のことを、ご自分に従う弟子たちをも含めた「わたしたちに反対しない人」であり、「わたしたちの味方」だと言われたのです。
 そうすると、イエス様に反対しない人というのは、ただ単にイエス様に反対していないだけではなくて、その弟子たちにも反対しているのではないということになります。イエス様は、「わたしに反対しない人」は「あなたがたにも反対しない人」なのであり、「わたしの味方」は「あなたがたの味方」でもあるのだと言っておられるということになります。
 ヨハネはこのイエス様のみこころが分からないままに、「私たち、私たち」と言っていたのであり、その「私たち」について来ない人を、「私たちの仲間ではない」として、批判し除外しようとしていたのだと言えるでしょう。イエス様に従っているつもりでいて、イエス様のみこころから外れていたのです。イエス様のみこころが分からないままに、イエス様ご自身が受け入れておられる仲間を除外しようとしていたのです。
 イエス様のみこころが分からないままに、あるいはイエス様のみこころを無視して、「私たち、私たち」と叫んでいることはないか、いつも気をつけていたいと思います。イエス様のみこころを無視した「私たち」ではなく、イエス様のみこころの中にある「わたしたち」でありたいと思います。

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