礼拝説教から 2017年12月31日

2017年12月31日
ルカの福音書2章21-38節
クリスマスの後
 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。(ルカの福音書2章25節)
 イエス様は闇の中に輝く光として、この世界にお生まれになりました。それは、この世界が闇に包まれているということであり、別の言い方をすると、慰めを必要としている人々がいるということにもなるのでしょう。
 シメオンという人は、「正しい、敬虔な人」でした。「だからこそ」と言うべきなのでしょうか、イスラエルが慰められることを待ち望んでいました。
 シメオンは長い時間を待ち望みながら過ごしました。待っていたのではなくて、待ち望んでいました。何が違うのでしょうか。それは、シメオンがただ単に待っていたというのではなく、確信と期待を持って待っていたということなのだと思います。そして、自分の願いが実現するのを待っていたのではなく、神様のことばが実現するのを待っていたということなのだと思います。
 シメオンは「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはない」と、聖霊によって告げられていました。シメオンは、自分が死ぬ前に、必ず主のキリストを見る、神様から送り遣わされる救い主を見るということを、神様ご自身から約束されていたのです。そして、主のキリストを見るというのは、この主のキリストによって、苦しみの中にあるイスラエルが慰めを得るということを意味していました。シメオンはこの神様の確かな約束が実現することを待っていたのです。シメオンはただ待っていたのでもなく、自分の願いが実現することを待っていたのでもなく、神様の確かなことばが実現することを、確信と期待を持って待っていたのです。
 果たして、神様はご自分の確かなことばに従って、主のキリストであるイエス様をこの世界に送ってくださいました。シメオンは、その主のキリストである幼子のイエス様をエルサレムの神殿で見たのです。
 「待ち望む」ということ、それは何の当てもなく待つということではありません。そして、自分の願いが実現することを待つということではありません。それは、神様の確かなことばが実現することを、確信と期待を持って待つということです。
 大切なことは何でしょうか。それは、神様の確かなことばに耳を傾け続けるということです。そして、その確かなことばが実現することを待ち望むということです。自分の願いが実現することを待ち続けるのではなく、神様の確かなことばに耳を傾け、その実現を待ち望むことです。
 私たちはどうでしょうか。
 いつも神様の確かなことばに耳を傾けていきたいと思います。そうして、その神様の確かなことばから祈りへと導かれ、神様のことばが私たちの人生の上に、一つ一つ実現する時を待ち望みたいと思います。同時に、イエス様がもう一度来られる時を待ち望みたいと思います。

コメントを残す