イエスというみ名の大きさ
神の子が、ナザレのイエスという紛れもない罪人である私たちの仲間となってくださった神の恵みの大きさに感泣する言葉である。この主イエスの命名の日が、一月一日でもあるのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、6頁
2020年1月1日(水)
私たちの教会では元旦には元旦礼拝を行います。一年の初めの時に天と地を造られたまことの神さまを礼拝して、その一年の祝福を祈ります。初詣を大切にしている日本人にとっては馴染みやすい習慣ではないかと思います。
この1月1日は伝統的に主イエスさまの命名の日で、教会歴を大切にする教会では「神の母聖マリア」の日として大切にされています。元旦礼拝ということではないのですが、一年の初めの時に神さまを礼拝することになります。
イエスという名は、旧約聖書ではヨシュアにあたるといわれます。男の子が生まれたならどこの家庭でもつけられる可能性の高い名であるということでしょう。何やらこの世離れした特別な言葉を、教祖やリーダーの名前とする宗教がこの世にはいくつもありますが、聖書は、神さまは私たちと同じ人となって下さった、罪人である私たちの仲間になってくださったと語るのです。ですからこの主イエスさまこそ私たちを救うことができます。特別な名をもった存在は、私たちをあまりにもかけ離れていて、私たちを救うことができません。
世の終わりまでともにいると語る神。それが主イエスさまなのです。
「そして、その子をイエスと名付けた。」(マタイ1・25)