世界の転換の事実を信じる

世界の転換の事実を信じる
2017年8月8日(火)

この世界は今日もなお変わらずに苦悩と困窮に満ちている。涙はながれてなおやまず、罪と死の力はいぜんとして支配を続けている。
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過ぎ去りゆく世の克服というのは、どこにあるのか。神の国が近づいたことは、どこでわかるか。
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もとよりイエスは死人の中から甦(よみが)えられた。そしてご自分の新しい、究極的な到来と、地上におけるみ国の勝利に満ちた建国を予告された。だが、この究極的な再臨は、今日に至るまで、起こらぬままに終わっているのではないか。再臨の約束は、信心ぶかい神話以上のものなのであろうか。われわれは答える。否、イエスは錯覚されたのではない。カール・バルトが、こうしたイエスの錯覚という主張を、「あらゆる時代の中で、最も陳腐なること」と呼んでいるのは、正しい(『教会教義学』4の3、340頁)。地上におけるいっさいのものの、大いなる転換と変化、これをイエスがもたらされたのは、現実のことなのである。その人格、その生、言葉と行動、その死と甦えりにおいて、イエスは、この転換そのものであられる。もともと新約の証言のどの行も、このことを語っているのである。ここではただ約束が与えられたばかりではない。ここには大いなる約束の成就がある。神はキリストにおいて現実にわれわれを捕えたのである。

〔E・トゥルナイゼン〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
242頁

「イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。『きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。』」(ルカ4・20~21)

「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。 」(ヨハネ19・30)

神の国の近づき、神の国の到来は、約束とその約束の成就にあります。それはイエスさまにおいて完全に現実のものとなりました。実現しました。

神さまを信じる者はこの世界の平坦な時間の流れから解き放たれ、神さまの大いなるご支配の中にある時間の流れの中に自らのすべてをゆだねます。この地上ではなお困難があります。しかしその一時的なものをも圧倒的な愛の力によって、またいのちの力によってイエスさまは飲み込んで下さいました。そのイエスさまが私たちとともにいてくださるのです。


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