交わりの自由へ
2017年7月7日(金)聖霊が燃やし尽くすものは私たち自身の塵である。私たちの本質的なものほど、燃やし尽くすべきものである。信仰とは神に働いてもらうことである。信仰によって生きるということは、神をして私たちの中に生かしめるということであり、神の側から生きることなのである。
信仰のみが正しい考え方をさせてくれる。
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もはや、私たちが自己から、自己を通して、また自己のために生きるのでなく、神から、神を通して、また神のために、生きることである。もはや、私たちは個人として生きるのではない。神から出て、交わりの中で、また交わりのために、生きるのである。私たちの孤独な自我は閉め出され、交わりを通してより充実した自己の自由へはいったのである。私たちの中心となる自己は交わりの自己である。〔N・F・S・フェレ―〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
207頁
「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(第1ヨハネ1・3)
交わりを妨げているものは、自己自身の罪であり、自己自身です。しかしこの自己は交わりなくして生きていくことが出来ません。
神さまを信じることは、神さまとの交わりに生きることです。そしてこの交わりに生きるとき、ともに神さまによって造られたものたちとの交わりの中に招かれています。
信仰に生きるとき、交わりの中に生きるものとなります。
神さまによって造られたすべての被造物との交わりの中に生きるものとなります。